妊娠妻の残飯処理をさせられてる夫のブログ

30代会社員夫婦の、初出産に向けた日記。2020年10月出産予定。日々の発見や出来事を書いていきます。

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【出産のご報告】奥さんに一生かけて恩返しすることを誓う。

長らく更新できずにいたが、予定通り、無事に今月出産を迎えることができた(*^^*) 
遅ればせながら、記録として残したい。


9月頭から奥さんは里帰りで福岡に帰省していたが、9月半ばに僕も合流し、いつ産まれてくれても良い状態でスタンバイをしていた。コロナ渦が不幸中の幸い、リモートワークが当たり前になってくれたおかげで仕事を続けながら奥さんの実家で時間を過ごすことができた。


この9月の福岡で過ごした半月の間、食事の用意や洗濯等の家事を義母さんがやってくれたので、僕らは夫婦2人だけの時間をそれなりに楽しむことができた。実家の近所を2人で散歩したり、結婚記念日にちょっとだけ良いランチを食べに行ったりしながら、出産に向けた気持ちとか産まれた後のこととか、いろんな話をすることができた。大阪にいた時よりも時間に余裕を持つことができて、僕はこの時からやっぱり里帰り出産にして良かったと感じていた。

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出産当日は、まさかその日が我が子の誕生日になるとは思っていなかった。午前中から陣痛っぽい痛みはあったものの、本陣痛は夕方〜夜にかけて訪れ、産まれてくるのは翌日の深夜か明け方かな(^^)くらいに思っていた。


夕方18時頃。陣痛のペースは予想通り早くなった。ただし、まだ入院のレベルではなさそう。奥さんはそのあたりから覚悟を決めた様子で、聖なる雰囲気が漂い始めた。奥さんの妹の助言で、先にシャワーだけ浴びることにした。


同じタイミングで、僕は夕飯の皿うどんを食べ始めた。今夜は忘れられない夜になることを思いながら箸を進めていると、脱衣所からいよいよ動けなくなった奥さんの「痛いーーー!」という声が聞こえてきた。

で、皿うどんは結局完食せず、すぐに病院に向かうことになった。入院グッズは予め買っていたママバッグで揃えていたので慌てずスムーズに準備完了。奥さんの家族に見送られながら、僕らは家を出た。


この時の運転ほど細心の注意を払ったことはない。アクセルを踏むのも緊張した。とにかく絶対に奥さんを無事に病院に届ける。全ての集中力を運転に注いだ。


病院は新型コロナ対策の関係で、家族は同伴1人まで。さらに、産まれる直前でない限りエレベーターホールにまでしか僕は入れなかった。奥さんは入院着に着替えた頃にはひとまず痛みは収まった様子で、僕と一旦のお別れの際には笑顔が見える状態だった。


その時一緒にいた看護師さんが、その後数日間大変お世話になることになる助産師の方だった。ちょうど良いベテラン感が出ていて、ひと目見た瞬間から、あぁこの人が奥さんについてくれるなら安心できると感じた。奥さんだけ看護師さんたちに囲まれながら、病室へと続く廊下に消えていった。


その時点で19時30分頃。一度僕は家に帰されて、産まれそうになったらまた連絡するとだけ言われた。実は、このコロナ渦にあってもこの病院では夫の立ち会い出産が許可されていた。何と、なんと有り難いことだろう・・・!

初産だし、これから時間がかかるだろうと思いつつも、すぐに僕も風呂に入った。スマホはもちろんマナーモードから切り替えて音量MAX。もしうたた寝しても今日だけは絶対に起きてやると気合を入れた。


夜21時頃。仮眠を取る準備をしつつ、無事に産まれた後の仕事の段取りを練っていた次の瞬間、奥さんからの電話が鳴った。なんと、もう病院に来てくれとのこと。


えっっっっっっっっっ!?もう行くの??



正直、もっと深夜になってから呼ばれると思ってたので、ものすごく驚いた。奥さんと赤ちゃんの共同作業が非常にスムーズだったらしく、長丁場になると思われていた子宮口が、病院に着いてからたった2時間あまりで全開になったそうだ。


急いで寝間着から着替えた。きっと今から着る服は奥さんと赤ちゃんと3人で撮る1番最初の記念写真になると思って、手元にある服で1番お気に入りのベストコーデで出発した。そして、行きの車の中で、僕は早速、なぜか目が涙でいっぱいになった。これから、きっと自分の人生の走馬灯の一場面になるその時を迎えようとしている中で、胸がいっぱいになっていた。頭の中では、尾崎豊の『誕生』が流れ始めた笑


21時45 分頃。病院に着いてから、しばらくは面会できなかった。病室に入ってから3時間しか滞在できないというコロナ渦のルールがあるので、看護師さんたちも産まれる直前のタイミングでの声掛けを段取りして下さっていた。最初は病室で待って、その後さらに奥さんがいる分娩室の入り口の前、廊下で待機することになった。


この時22時30分頃。分娩室の前の廊下で、結局1人で30分くらい座って待っていた。薄暗い中で、分娩室の中から奥さんの悲鳴に近い声だけが聞こえていた。僕は廊下のイスに座って、その声だけを聞きながら、ただひたすら無事を祈るしか出来なかった。



痛い!!!!!!
足がつった…!!!



本当に苦しそうな声だった。お腹の中で大きく育った赤ちゃんが産道を通る。今まで聞いたことのない、異常なまでの悲痛な声を聞いて、新しい命が産まれる瞬間が間近に迫り、本当に緊張が止まらなかった。この時、つくづく男性は出産の時何もできないことも痛感した。たまに部屋から聞こえてくる助産師さんの声が落ち着いた口調で、笑っていたりもしたので、それを聞くと安心だった。廊下で、1人で僕はまたなぜか泣いていた。


この廊下で待った約30分間で、僕は胸がドキドキした状態のまま、本当にいろんなことを考えた。


奥さんは、昨年の手術やいろんなことを乗り越えて、今、前々から望んでいた子供を産もうとしている。出産は命がけだ。知識だけは予習していたが、いざその時を迎えると、すごく怖い。


気が付くと、奥さんの身の安全を1番に考えている自分がいた。もちろん赤ちゃんに早く会いたいが、その時自然と、1番は奥さんが無事でいてくれることだと思った。


何のために子供を産むのか?きっと動物としての本能、自らの遺伝子を残すこと、そうした存在を愛おしいと思う、そうした豊かな感情と共に人生を過ごすためだ。今、奥さんが苦しさを乗り越えて産んでくれようとしているからこそ、多分僕は子供がいる人生をこれから過ごすことができるんだと思った。


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23時頃。分娩室に入れてもらえた。入ってからは、僕もうちわで扇いだり、奥さんにミネラルウォーターのペットボトルを渡したりと忙しくなったので、さっきまで考えていたいろいろは一旦置いておいて、イチ作業員として全力を尽くした。


そして、23時38分。遂に赤ちゃんが産まれた。


取り上げられた瞬間の残像。頑張って泣こうとするが、羊水を飲んでたためにうがいみたいにガラガラ鳴ってしまった声、廊下にいる時から止まらない僕のドキドキと涙、鼻水。とにかく、すごく感動的で、同時に自分の無力感というか、ここにいる自分以外の皆さまのおかげで無事に我が子の産声を聞くことができたことに心から感謝の気持ちが湧いてきた。



奥さんは思ってた通りか予想以上か、やはり強い人だった。
産後、最初に我が子を見た瞬間可愛いと言って本当に安心しきった表情をしていた。赤ちゃんも出てくるのに大変だったと思うし、奥さんもヘトヘトだったと思う。奥さんが初めて赤ちゃんと会えた瞬間を自分も見ることができて良かった。そして、翌日以降も特に身体に大きな異常はなく、退院までも順調だった。本当に良かった。


昨年、病気で手術を受けて、妊娠なんて夢のまた夢みたいな状況にもなったところから、こんなに元気な赤ちゃんを、痛みに耐えながら産んでくれたのだ。そんなすごいことをやってのけた奥さんに、僕は頭が上がらない。一生かけて、奥さんに恩返ししていこうと思う。


また、すごく変な言い方になるが、奥さんには、子供がいる人生を送ってほしいと思っていたのでそれも叶ってすごく嬉しい。結婚する前から、この人は誰かに愛情を注ぐことで、自らも輝く人だなとずっと思っていた。今、まだ生後1ヶ月にも満たない我が子に対して毎日いろいろ苦労しながらも愛情を注いでいる奥さんを見ることができて、それも嬉しい。


出産の翌日。僕は外を1人で散歩してるときに思った。この世に、自分が大好きと思える人か増えるってなんて有難いことなんだろう。奥さんと子供と、これからいろんなところへ出掛けたいと思った。子供には、いろんな世界を見せてあげたい。


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今までの人生で、1番嬉しい瞬間だったかもしれない。
このブログに書いたことを、いつか我が子にも直接伝えようと思う。